第3回 子育て支援センター九州セミナー
実績報告書

 

パネルトーク  第2部「改めて子育て支援の理念と方策を探る」

石川:「なんくる家」を作ったきっかけ。地域から子ども達が見えなくなってきた。だから直感的に場を作らなければ、という思いの中で平成3年から開始した。8千人位年間利用者はあるが、必要な支援とは何かを考えなければならなくなった。
元気なお母さんが多い。友達作る事が上手な人が多い。対等に喋れる人が多い。
「支援が必要な人は誰か?」
「今必要とされている支援とは何か?」
という課題の声を現場で聞くようになってきた。
『支援をつないでいく』、という事をやっている。訪問して乳幼児のお世話をするのに有償か無償かは家庭の状況を見て判断している。

柳渓:富山では500弱の保育園が公私立合わせてあり、その中で60数園の支援センター事業がある。その中で、今年度組織作りを始めた。その中で、全国組織の必要性を感じている。

 

  1. 乳幼児の子ども親の現状をどう捉えているか
  2. その背景とは何か
  3. 現在の子育て支援をどう評価しているか
  4. どんな子育て支援が大事になるだろうか

 

  1. 石川:ゆったり子育てをしている親が少なくなっている。親に余裕が無くなっていると感じる。

柳渓:生活の乱れ。それを感じている。
宇野:情報過多による不安。距離感が難しい人とは、情報が多すぎて判断できない方が多くなっているように感じる。
増し山:子どもが子どもを育てる時代になってきた。大人の年齢になってきたのに、大人が子どものままでいる。上手くいかないのはあたり前だと思っている。子育ては、一人前に育てるということ。親と子をセットにして育てる、という事が必要になってきている。

石川:若年層の出産が多くなってきている。今は10代の出産は珍しくない。働きがないから、3つも掛け持ちしながら仕事を持っている。沖縄ですらゆったりできる環境・社会ではなくなっていると思う。
宇野:以前は1歳でおむつはずしをしていた時代があった。紙おむつが出てから、3歳くらいになってきた。情報操作があるのではないか、と思っている。情報は「やってみてから選択」していく必要がある、と思っている。
増山:全体として皆のびやかに育っていると思うが、子育てにおいては心配をしなければならないことがある。
子育てにおいては我慢して子育てに関わる必要がある。(将来の)子どもを育てるのが、(今の)子どもとなる。我慢をして子どもに関わっていくのが大人だと思っているが、そう育っていないから大変なのだと思う。
倉石:子育てに関する体験がないと、仮説が立てられない。どうしていいかわからないから、イライラするしかない。この状態が長く続くと燃え尽きるしかない。

  1. 石川:「守られすぎ。もしくは、放任されている」。両極端になっているのではないか。子どもが失敗しないように。

例えば転ばせるために、失敗の経験をさせるために、という為に川のぼりをやっているのに子どもが失敗しないように、こうなれば、ああなると指示を出したり、手助けする保護者が多くなってきている。
柳渓:「遊び、食事、睡眠」。寝るような環境を作るなど、それが親の役目であり、早く起こす事が親の役目ではないか。
宇野:「シュミレーション世代」。日常生活で体験したことが(頭で考える事よりも実感として)強いのではないか。実体験した事しか学べないのではないか。
5年生が、「私、人に心を開く事が苦手なんです」といった。実体験の中でしか、本当の事は学べないんではないか、と思っている。
増山:「子どもの異年齢集団・子育てアドバイザーがいない」。子ども集団が絶滅危惧種ではないか、と思っている。子ども集団こそがもっとも基礎的な学びの場であったはずなのに。子どもは自然の場所にいて、危険と自然を感じながら野性味あふれながら遊ばないといけない。
そして、おせっかいな大人がいなくなった。やらなければならないことを、振いにかけてやらなければならない事を考えなければならない。残すべきもの、伝えるべきものを考えなければならない。
日本全体が、抗菌グッズがはやっている。悪いものは排除しようという考え方。子どもの悪ガキは必要な存在。子ども同士で共同の秘密をも持ち、共通の敵を作る、これが仲間。

  1. (時間がないため略)

 

  1. 石川:「もっと自由に行動する」。支援するものとして、国からメニューがくる。

しかし、本来なら何をしなければならないのかが、問われなければならないはずなのに自分たちの選択を、考えを狭めているのではないか。
「なんくる」にはオートバイで旅する若者を泊める事がある。そこで朝、掃除と保護者に対して自己紹介をする、そして自分のお国の話を子ども達にしてもらう事にしている。多くの人が行きかう場所になっている。しないといけないではなく、人と人とが出会える時に生じる「楽しみ」を喜びあえる地域(保育園やセンター)にしなければならない、と思っている。
もっと自由に、とはそういう気持ちで出てきた言葉だった。
柳渓:「変えなくてもいい文化があるはず」。
宇野:「地域の中継になる」。初対面は躊躇する。ここ(センター)に来ればモデルがある、情報がある。知りあわなければ難しいのではないか。子どもの時知っている大人は安心できる大人の対象に見える。
増山:「地域の子育て力」。今学校でも地域が支えようとしている。人、自然、文化、産業、社会資源などこれらが宝の山のようにある。それをつなぎ、連携するのがセンターの役目ではないか。

 

村上:支援グッドバイ。子育ては暮らしの中から離れていったのではないだろうか。暮らしそのものの不安とは、子育て不安ではないだろうか、と思っている。暮らしの力があれば、子育て不安はなかった、と思っている。
暮らしの中で如何に力をつけていくか。それが子育て支援ではないかと思っている。「ふくし」、とは普通の暮らしの幸せ、ではないかと思っている。
お金がなくても何とか1人前に生活ができれば、十分大人だと思う。

倉石:熊本はセンターに関しては全国でもトップレベルだと思っている。今後ともそれぞれの現場での発想の転換の機会にしていただきたいと思っている。

 

 

 

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